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石の索引

現在、百八十六石。調べのついた石から順に、この帳に綴じていく。

はじめて開くなら —— 鯖街道口冥土通いの井戸西寺跡旧・巨椋池哲学の道

印は石の気配 — 緑の若葉は慶び、桃の花は吉話、藍の雫は悲史、紫の月は怪異。石の地図と同じ印。

洛中Rakuchū101

鯖街道口 (出町桝形商店街)出町柳若狭で一塩した鯖が、京に着く頃ちょうど食べ頃になったという。 1928ビル (旧大阪毎日新聞社京都支局)烏丸御池新聞社だった洋館の壁に、星の意匠が散らばっている。 三条会商店街二条全長八〇〇メートルのアーケードの途中に、貞観の御霊会にゆかりと伝わり祇園祭の起こりとされる小さな社が座っている。 三条通の近代建築群 (中京郵便局)烏丸御池外壁だけを残す『ファサード保存』は、この郵便局から始まった。 上七軒 (かみしちけん)上七軒北野天満宮の余り材から始まったとされる、京都最古の花街。 二条城 東南隅櫓二条城前度重なる火災に多くの櫓を失った城で、焼け残った一基。 二条陣屋二条大名を泊めた商家に、忍者屋敷さながらの仕掛けが残る。 京都府庁旧本館丸太町創建時の姿を残す現役の官公庁建築では日本最古、明治の煉瓦洋館。 京都文化博物館別館 (旧日本銀行京都支店)三条辰野金吾が設計した赤煉瓦の旧日本銀行が、今は博物館別館。 任天堂 創業の地 (旧本社・丸福樓)七条花札から始まった任天堂の創業社屋が、今はホテルに生きる。 佛光寺 (真宗佛光寺派本山)四条烏丸絵系図と名帳という独自の布教で、中世に教線を広げた古刹。 八坂神社 四条御旅所五条神輿がとどまる七日間、無言で通えば願いが叶う——祇園の芸舞妓が守ってきた「無言参り」の御旅所。 六角堂 へそ石烏丸御池京の中心を示す『へそ石』が残る、いけばな池坊発祥の寺。 南蛮寺跡四条信長が守り秀吉が壊した、都の南蛮寺(教会)の跡。 占出山 (祇園祭・鮎占い)四条烏丸神功皇后が鮎で戦の勝敗を占ったという、祇園祭の山。 吉益東洞宅蹟御所南実証を重んじ、近代医学に通じる道を開いた漢方医の宅跡。 四条河原 (出雲阿国・歌舞伎発祥)四条河原町出雲阿国が『かぶき踊り』を披露した、歌舞伎発祥とされる河原。 因幡薬師 (平等寺)梅小路因幡の海から国司を追って京へ飛来したと伝わる薬師如来を本尊とし、嵯峨・善光寺と並ぶ日本三如来の一つとして、今もがん封じの祈りを集める。 撞かずの鐘西陣梵字を刻む平安の梵鐘。ある織子の悲話ゆえ、いまも大晦日の除夜のほかは撞かれないと伝わる、西陣・報恩寺の鐘。 夕顔之墳 (源氏物語ゆかり)五条松原源氏物語の女君の墓と伝わり、町名『夕顔町』に今も残る。 夷川通 (家具の街)御所南焼け跡からいち早く立ち直ったと伝わる通りに、釘を使わない京指物の店が今も残る。 妙蓮寺 (みょうれんじ)西陣秋から春へ咲きつぐ御会式桜と、羅漢に見立てた十六の石——長谷川等伯一派の絵が残る法華の大本山。 少将井跡 (少将井御旅所跡)御所南『枕草子』が数えた名井は、御旅所とともに地上から消え、名だけが町に残った。 岬神社 (土佐稲荷)河原町坂本龍馬ら土佐の志士も参ったと伝わる、路地奥の稲荷。 島原大門島原太夫道中の華やぎの陰で、大門の内に生きた女たちがいた。 島田魁邸宅跡島原箱館戦争を生き延びた新選組隊士が、京に戻り住んだと伝わる。 市比賣神社 (いちひめじんじゃ)五条祀られる五柱がすべて女神――だからここは、女性を守る社として参られてきた。 常林寺 (萩の寺)出町柳秋は萩に埋もれ、若き日の勝海舟が逗留したと伝わる寺。 弘文院跡二条平安の私塾に数千巻を蔵したと伝わる地は、いま一本の石標に畳まれている。 御金神社 (金運)烏丸御池金色の鳥居の下、資産や宝くじの願いが絶えない金運の社。 撞木辻子河原町錦小路と四条のあいだ、中ほどから西へ折れる丁字の道筋を、鉦を打つ撞木に見立てたと伝わる辻子。 文子天満宮 (天神信仰発祥)京都駅菅原道真の乳母・多治比文子が自宅の庭に建てた小さな祠が北野天満宮の前身になったと伝わり、天神信仰はここに始まったとされる。 一条戻橋西陣式神を隠し、鬼の腕が斬られたと伝わる、あの世との境の橋。 本空山 称念寺 (猫寺)西陣寺が傾くほど三代目住職が愛した猫が、松平家の姫に霊としてのりうつり寺を再興させたと伝わり、本堂前の松は今も「猫松」と呼ばれる(諸説あり)。 本能寺 (現・寺町御池)河原町三条信長が斃れた本能寺は、秀吉の手で今の寺町御池へ移された。 本願寺伝道院京都駅インド風ドームに空想の獣の石像——寺町の異形は、伊東忠太が生命保険会社のために建てた。 東三条院址 (東三条殿跡)二条娘がここで天皇を産み、史上初の女院となった摂関家の大邸宅跡。 松原橋 (旧五条大橋)四条河原町牛若丸と弁慶が出会ったと伝わる「五条の橋」は、秀吉の架け替え以前、この松原橋の位置にあったとされる。 梅小路機関車庫 (京都鉄道博物館)梅小路転車台から約二〇線が扇形に開く大正三年竣工の車庫で、現存最古級の鉄筋コンクリート機関車庫とされ、方向転換の所作が今も残る。 梨木神社 (染井の名水)御所東京都三名水で唯一残る『染井の水』が、今も湧く萩の社。 橋弁慶山 (祇園祭)烏丸五条大橋で弁慶が牛若丸に敗れた伝説を、人形にした祇園祭の山。 武信稲荷神社三条会龍馬が再会を願い榎に『龍』と刻んだと伝わる、三条大宮の社。 池田屋騒動跡三条維新を早めたとも遅らせたとも言われる、池田屋事件の現場。 渉成園 (枳殻邸)五条遠い塩竈の景を京に写したと伝わる地に、丈山作と伝わる池庭が広がり、園名は「園を日々めぐって趣を成す」に因む。 田中神社出町柳かつて田中村の産土神で、下鴨神社から旧殿を移し受けたと伝わり、社殿にはゆかりの三ツ葉葵の紋が残る。 矢田寺 (矢田地蔵)寺町地獄の苦を代わりに受けると伝わる地蔵と、盆の送り鐘の寺。 石像寺 (釘抜地蔵)西陣人の『苦』を抜くことから釘抜地蔵と呼ばれ、釘抜の絵馬が堂を埋める。 神明神社 (源頼政の鵺退治)四条烏丸源頼政が祈願し、都を騒がせた鵺を射落としたと伝わる古社。 神泉苑二条城前空海が龍神を招いたと伝わり、祇園祭の起源ともされる池。 繁昌神社 (班女ノ社)四条烏丸葬っても戻る娘の亡骸を祀ったと伝わる、商売繁昌の社。 肥前鹿島鍋島藩屋敷跡二条二万石の京屋敷は跡形もなく、平成に建った石標だけが所在を告げる。 若狭小浜藩邸跡二条慶喜が大政奉還への道筋を描いたと伝わる、酒井家の京屋敷跡。 菅原院天満宮神社 (菅原道真生誕地)丸太町道真生誕の地と伝わる(諸説あり)、産湯の井が残る天満宮。 蛸薬師堂 (孝行の蛸伝説)河原町蛸が法華経に変わり母を癒したという、孝行の蛸の伝説の堂。 西本願寺京都駅見入るうちに日が暮れる「日暮門」を構える本山が、四百年余り前の東西分立で「西」となった。 観世井 (かんぜのい)西陣井戸の底で絶えず巻いた渦が、やがて観世流の紋になった――天から龍が降りたとも伝わる。 角屋の庭島原龍が臥すように枝を這わせた松にちなむ庭で、松は代替わりし、座敷には新選組の刀傷が残ると伝わる。 誓願寺 (新京極)河原町迷子の再会を願った石標が残る、和泉式部ゆかりの古刹。 輪違屋 (わちがいや)島原太夫道中の傘を襖に貼り込んだ座敷が残り、島原で今も太夫を育てる、唯一のお茶屋兼置屋と伝わる。 近江屋跡 (龍馬・中岡遭難の地)河原町三条坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された、醤油商『近江屋』の跡。 酢屋 (海援隊・龍馬寓居)河原町三条龍馬が二階から高瀬川の舟入を望んだと伝わる、材木商の宿。 錦天満宮四条石鳥居の笠木の両端が、いまも両側のビルの壁に消えている――撤去されないまま、街がまわりに建ったと伝わる。 長宗我部盛親公埋首地 (蓮光寺)五条『折あらば再び兵を挙げ恥をそそぐ』と語ったと伝わる将の埋首地。 雨宝院 (西陣聖天)西陣西陣の路地に、水飢饉にも涸れぬ「染殿井」と八重の歓喜桜——空海開基と伝わる聖天さん。 青龍妙音弁財天出町柳伏見宮家の守り本尊だったと伝わる、技芸上達の弁財天。 革堂 行願寺 (幽霊絵馬)御所東若くして逝った娘の霊が宿ると伝わる『幽霊絵馬』を蔵す寺。 首途八幡宮 (かどではちまんぐう)西陣義経が奥州へ旅立つ前、道中の無事を祈ったと伝わる社。 高瀬川 (高瀬舟・角倉了以)四条河原町角倉了以父子が開いた運河を、底の浅い高瀬舟が薪炭や米を積んで京と伏見の間を上り下りした。 鵺大明神 (鵺池)二条頼政が射た鵺の血の鏃を洗ったと伝わる池が、公園に残る。 龍谷大学大宮学舎 (重文)京都駅石の柱に見えて、実は木に石を貼った擬洋風。明治十二年の学び舎が、国の重文として残る。 新選組最後の洛中屋敷跡京都駅大名屋敷並みの屯所も半年で去り、洛中の日々は幕を閉じた。 道祖神社京都駅宇多上皇の御所を守るために祀られたと伝わる、京都駅間近の小社。 伊藤若冲 生家跡 (青物問屋 枡屋)四条鶏を描いた絵師・若冲が、四十まで継いだ錦市場の青物問屋の生家跡。 羅城門跡京都駅周辺芥川『羅生門』の舞台は二度倒れ、再建されぬまま石碑を残す。 電気鉄道事業発祥地京都駅周辺日本初の営業電車がこの地から走り出したのは、明治二十八年のことだった。 京都大神宮四条伊勢へ行けぬ人のための遥拝所として、明治のはじめに建てられた社。 古高俊太郎邸跡河原町・木屋町商人を装った志士の自白が、元治元年の池田屋事件の引き金となった邸跡。 膏薬辻子 (こうやくのずし)烏丸御池・四条空也が将門の首を供養したと伝わり、その訛りが名になった路地。 応仁の乱勃発地・御霊神社西陣京を焼いた十年の応仁の乱は、この森の初戦から始まった。 千本釈迦堂のおかめ塚西陣・北野短く切った柱を妻が救ったが、名を汚さぬため自害したと伝わる塚。 菊水井跡・大黒菴武野紹鴎邸址四条烏丸利休の師・武野紹鴎が愛したと伝わる名水、菊水井の跡。 林道春邸址四条烏丸徳川四代に仕え、幕府の学問の礎を築いた儒者・林羅山の邸址。 八橋検校道場の跡四条烏丸箏を今の姿に整えた八橋検校が、京銘菓の名の由来とも伝わる道場跡。 名和長年公景慕碑二条建武の新政に殉じた忠臣・名和長年を、後の世が慕って刻んだ碑。 新西境町石碑 (皇紀二千六百一年)京都駅『皇紀二千六百一年』と刻む由緒未詳の石が、道端に残るのはなぜか。 染殿院烏丸御池・四条半世紀に一度だけ開帳される、京都唯一の裸形の地蔵と伝わる秘仏。 鉄輪の井戸 (丑の刻参り伝承)五条松原丑の刻参りの女が果て、その水は悪縁を断つと恐れられたと伝わる井戸。 朱雀松尾總神社朱雀松尾祭の還幸祭に、六基の神輿と唐櫃が立ち寄る御旅所。 宝鏡寺門跡 (ほうきょうじもんぜき)西陣姫君が輿で参じたときだけ開いたと伝わる中門を、尼門跡の奥に残す。 報恩寺 (鳴虎)西陣秀吉が聚楽第に飾ると夜ごと虎が鳴いて眠れず返したと伝わる四明陶佾筆の「鳴虎図」を蔵し、寅年の正月三が日にのみ開帳される。 三條東殿遺址 (さんじょうひがしどのいし)烏丸御池後白河上皇の御所が夜襲・焼討ちされた地とされる——平治の乱の発端。 木村長門守重成公旧館地 (きむらながとのかみしげなりこうきゅうかんち)聚楽第兜に香を焚きしめて出陣したと伝わる木村重成、ゆかりの旧館地。 出世稲荷跡 (しゅっせいなりあと)聚楽第秀吉が勧請したと伝わる稲荷が、三百五十年を過ごした旧地の神蹟。 上杉景勝屋敷跡推定地碑 (うえすぎかげかつやしきあとすいていちひ)聚楽第町名が上杉景勝と直江兼続の名残とも伝わる、武家地の記憶をとどめる碑。 相国寺七重塔跡 (しょうこくじしちじゅうのとうあと)出町柳東寺の五重塔を超える高さ約百九メートルと伝わる、幻の七重塔の跡。 西郷隆盛邸跡出町柳西郷隆盛がこの界隈に居を構えたと伝わるが、正確な位置は定かでない。 大原口道標出町柳四面に二十二の行き先と距離を刻む、大原・若狭へ抜ける口の道標。 竹内式部寓居跡御所南尊王を説いて京を追われた竹内式部の寓居跡と伝わるが、石標は撤去された。 十念ヶ辻五条刑場へ引かれる罪人に、僧が十遍の念仏を送ったと伝わる辻。 班女塚四条烏丸動かせなくなった亡骸を、その場に留めて塚を築いたと伝わる。 横井小楠殉節地御所南開国を説いた横井小楠が、刺客に襲われ落命したと伝わる地。

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冥土通いの井戸東山昼は朝廷、夜は閻魔庁へ——小野篁が冥土に通ったという井戸。 哲学の道鹿ヶ谷哲学者・西田幾多郎が思索しつつ歩いた、疏水沿いの小径。 八坂の塔 (法観寺)東山写真で名高いこの五重塔の足もとには、寺のほとんどが失われた今も、舎利を納めたと伝わる古い心礎が残る。 八坂神社 (祇園社)祇園全国の祇園社の総本社に、蘇民将来の説話と茅の輪の神事が伝わる。 北白川天神宮 (白川女碑)北白川花を頭に載せて京を売り歩いたと伝わる白川女の里、北白川の産土神。 圓徳院 (ねね終焉の地)東山秀吉の妻ねねが晩年を過ごし、その生涯を終えた地。 大谷本廟 (西大谷)清水/五条親鸞の墓所に、全国の門信徒の骨が集まる。「西大谷」は本願寺派——東の大谷とは別である。 大豊神社 (狛ねずみ)鹿ヶ谷哲学の道沿い、ねずみが大国主命を火から救ったという神話にちなみ、水玉と巻物を持つ一対の狛ねずみが末社を守る。 安楽寺 (松虫・鈴虫)鹿ヶ谷出家した二人の女房と、翌年の法難で命を落とした二人の僧――鹿ケ谷の草庵は、その供養から始まったと伝わる。 尹東柱留魂之碑出町柳27歳で獄死した詩人・尹東柱の魂を、下宿の界隈にとどめる碑。 法然院銀閣寺白砂壇と苔の参道の奥に、谷崎潤一郎らが眠る静寂の寺。 白川 (北白川の石工・白川女の里)北白川白川石の石工と、花を頭に売り歩いた白川女の里。 石川丈山先生旧蹟詩仙堂道標銀閣寺『詩仙堂まで北へ十二町』を告げる、石川丈山ゆかりの道標。 耳塚 (鼻塚)東山秀吉の朝鮮出兵で持ち帰られた耳と鼻を葬った、供養の塚。 行者橋 (一本橋・白川)祇園幅わずか六七センチの石の一本橋。比叡山の千日回峰行「京都大廻り」で、白装束の行者が渡ると伝わる。 辰巳大明神 (巽橋・祇園白川)祇園橋の狸を鎮めるために祀られたと伝わり、今は舞妓が芸を願う。 銀閣寺 (慈照寺)銀閣寺銀閣に銀は貼られていない——二〇〇七年の調査でも銀は検出されず、「銀閣」の名すら江戸期に金閣と対で付いたものと寺は伝える。 若宮八幡宮 (陶器神社)五条坂・清水清水焼の町の鎮守として、陶祖神と美の神を祀る社。 かにかくに碑祇園祇園を愛した歌人の歌碑に、毎年十一月、舞妓が花を供える。 六波羅蜜寺 空也上人像祇園・東山唱えた六字が六体の阿弥陀となって口から現れる、空也上人の立像。 八坂庚申堂 (くくり猿)東山欲をひとつ堪える者の願いが叶うと伝わる、くくり猿の御堂。 此奥俊寛山荘地鹿ヶ谷平家打倒を謀った俊寛が、鬼界ヶ島へ流されたと伝わる山荘の跡。 弥勒院 (幸せ地蔵尊)銀閣寺哲学の道沿いで、赤子を抱く『幸せ地蔵』が幸せを招くと伝わる寺。 志賀直哉旧居跡 山科之記憶 (しがなおやきゅうきょあと)山科志賀直哉が一年半を過ごし、山科を作品に描いたと伝わる旧居の跡。 旧渋谷街道道標 (きゅうしぶたにかいどうみちしるべ)山科洛中と山科を結んだ渋谷街道の道標だが、銘文も建立年も未特定である。 蓮如上人銅像跡 (れんにょしょうにんどうぞうあと)山科両本願寺の融和を象徴した蓮如像は、戦時の金属供出で台座だけを残した。 人喰い地蔵 (崇徳院地蔵)聖護院憤死した崇徳上皇を祀る地蔵の名が、いつしか『人喰い』へ転じたと伝わる。

洛北Rakuhoku21

下鴨神社 (糺の森)北大路みたらし団子は、糺の森の奥・御手洗池に湧く水泡をかたどったものと伝わる——串の一つだけが離れているのは、人の体を模したためともいう。 久我神社 (八咫烏)紫竹神武天皇を導いた八咫烏を祀り、旅と空の安全を願う社。 京都府立植物園北大路元日に開いた日本最初の公立植物園は、接収の歳月を越えて、森の奥に小さな社を今も抱く。 北大路橋北大路橋の上から、賀茂の神が降りたと伝わる神山の稜線が見える。 半木の道 (賀茂川の桜並木)北大路賀茂川沿いに約800m続く、紅枝垂桜のトンネルの小径。 半木神社北山洪水で流れ着いた木で社を建てたと伝わる(諸説あり)。 植物園北遺跡石標北山弥生から近世まで人が住み続けた、地中の大集落を示す石標。 深泥池のタクシー怪談北山乗せた客が池に着く前に消えた——そんな幽霊タクシー怪談で知られる洛北の池。鬼の出入り口という伝承も残る。 牛若丸産湯井 (牛若丸誕生井)紫竹平治元年に生まれた牛若丸の産湯に使われたと伝わり、今も水を湛える紫竹の井戸。 紫式部墓所北大路紫式部の墓と伝わる石塔が、小野篁の墓と並んで建つ。 總神社 (そうじんじゃ)紫竹常盤御前が牛若丸を産んだ『常盤の森』と伝わる古社。 ラグビー第一蹴の地北山・賀茂三高生が球を蹴り、関西ラグビーが生まれたと刻む世界遺産の森の碑。 加茂街道北大路ひとつの流れに、賀茂・鴨・加茂の三つの文字が重なる道。 紫明通北区『山紫水明』から名を得て、四明岳を望む通り。 深泥道 (下鴨本通)下鴨深泥池へ続く細道が、大正に社家町を貫いて広げられた。 未明橋 (大原問答・ふたつの名)大原大原問答が未明に及んだことに因むと伝わる、ふたつの名を持つ朱橋。 乙が森 (蛇身の伝説)大原蛇身となった女が、己を捨てた領主を待ち伏せたと伝わる森。 旧三井家下鴨別邸北山・賀茂望楼を頂く豪商の別邸の庭に、寄り添う二本の『夫婦の木』が立つ。 叡山ケーブル (えいざんけーぶる)八瀬高低差五六一メートルは日本一という、八瀬と比叡山を結ぶケーブルカー。 志明院 (金光峯寺)雲ヶ畑鴨川の水源とされる岩窟と、龍神を閉じこめたと伝わる洞窟をもつ山寺。 花尻の森大原戸寺乙が森に頭を埋めた大蛇の尾が眠ると伝わる、椿の森。

洛西Rakusai17

夕霧大夫遺跡嵯峨近松が浄瑠璃に描いた名妓・夕霧太夫の生誕地と伝わる。 天王山 (山崎の合戦)大山崎(市外)秀吉が光秀を破った山の名が、勝負の正念場を指す言葉になった。 清涼寺 (嵯峨釈迦堂)嵯峨像の胎内に絹の五臓六腑を納めた釈迦――「生身の仏」と呼ばれてきた理由が、そこにある。 渡月橋嵐山「月が橋を渡るよう」と評した上皇の一言が名になり、木に見える橋は鉄筋コンクリート。上流の堰は秦氏の手と伝わる。 祇王寺 (祇王と平清盛)嵯峨清盛の寵を失った白拍子・祇王が、母と妹とともに髪を落としたと伝わる、嵯峨野の尼寺。 竹の寺 (地蔵院)松尾幼い一休が学んだと伝わる、竹林に包まれた『竹の寺』。 華厳寺 (鈴虫寺)松尾一年じゅう鈴虫が鳴く堂で法話を聞き、山門前には、願いを一つだけ叶えに歩いてくると伝わるわらじ履きの幸福地蔵が立つ。 西芳寺 (苔寺)・黄金池松尾苔寺の苔は夢窓疎石の設計ではなく、庭が荒れた江戸期以降に広がったものと伝わる——参拝はいまも予約制で、写経のあとに庭へ。 車折神社 (芸能神社)嵯峨芸能人の名を記した朱の玉垣が、びっしりと並ぶ芸能神社。 離宮八幡宮 (えごま油発祥)大山崎(市外)京都・大山崎。荏胡麻から油を搾る道具「長木」はこの社で生まれたと伝わり、やがて中世最大級の油座がここを束ねた。 小督塚嵐山高倉天皇に愛された琴の名手が、探し出され尼にされたと伝わる塚。 あだし野念仏寺 (八千体の石仏)嵯峨鳥居本野に散っていた八千体の石仏が、阿弥陀に向かって並ぶ葬送の地。 天塚古墳太秦秦氏の墓と推定される前方後円墳の石室に、稲荷が祀られている。 念佛寺 (ねんぶつじ)西京極桂川にほど近い、詳しい由緒の伝わらない浄土宗の念佛寺。 衣手神社 (ころもでじんじゃ)西京極松尾祭の御旅所として、衣手社を合祀し名を改めた古社。 生の六道 小野篁遺跡嵯峨小野篁が夜ごと冥途から現世へ戻ったと伝わる、『生の六道』の地。 清凉寺 一切経蔵嵯峨一度回せば一切経を読んだ功徳を得るという、参拝者が回せる輪蔵。

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西寺跡南区唐橋東寺と対をなしながら、廃れ消えた幻の官寺の跡。 旧・巨椋池 (おぐらいけ)横大路観月の名所だった巨大な湖が、干拓で姿を消した跡地。 ぬりこべ地蔵 (歯痛封じ)伏見稲荷歯の痛みを封じ込めると伝わり、治った人は塗り箸を結ぶ。 三栖神社 (炬火祭)横大路壬申の乱で皇子を迎えた篝火が、一トンの大松明になったという。 伏見稲荷大社 (千本鳥居)伏見稲荷千本鳥居はどれも個人か企業の奉納で、柱の裏には名と年月が記され、太さ(号数)ごとに規模と初穂料が定まる。 千両松の戦い跡 (鳥羽伏見の戦い)横大路狭い淀堤で東軍が斃れた地に、いまは戦死者の碑と埋骨地が並ぶ。 東寺 (教王護国寺)京都駅南空海が着工し、落雷などで四度焼けて建て直された五重塔は、いまが五代目——約五十五メートル、木造では今なお日本一。 産場稲荷 (お産場池)伏見稲荷稲荷の使いの狐が子を産んだと伝わる、安産祈願の小さな社。 七面天女 道標伏見稲荷日蓮の前で龍身に転じた女神が守るという、七面山への道標。 草津湊 (魚市場遺跡・魚魂碑)横大路大坂の魚が夜どおし淀川をのぼって陸揚げされた、幕府公認の魚市場の跡。 縣神社 (あがたじんじゃ)宇治(市外)灯りをすべて消した闇のなか、梵天が渡る『暗夜の奇祭』で知られる社。 浮島十三重塔 (うきしまじゅうさんじゅうのとう)宇治(市外)宇治川の殺生を戒め、漁具を埋めた上に建てたと伝わる石塔。 夢浮橋之古蹟 (ゆめのうきはしのこせき)宇治(市外)『源氏物語』を締めくくる巻の名を、この地にとどめる古蹟。 指月伏見城跡桃山地震で消えた『幻の城』が、金箔瓦とともに二〇一五年の発掘で姿を現した。 太閤堤 槇島堤址向島秀吉が宇治川を付け替えるために築いた堤で、桜並木が続いたとも伝わる。 槇島城跡槇島(市外)足利義昭がここを退き、室町幕府は事実上の終焉を迎えたとされる城。 巨椋神社小倉(市外)古代の巨椋連が祖神を祀ったのに始まると伝わる、式内の古社。 巨椋池 (二ノ丸池)址向島京都盆地最大の淡水湖は堤で分かたれ、昭和の干拓で姿を消した。 太閤堤 小倉堤址向島秀吉の築いた堤の上が、伏見と奈良を結ぶ大和街道になった。 平重衡 受戒之地京都駅南南都を焼いた平重衡が、鎌倉へ送られる前に法然から授戒したと伝わる。

この覚え書きは机上の調査によるものです。伝承には諸説があります。