記された慶び・洛中/御所南
夷川通 (家具の街)
夷川通に家具屋が集まった経緯は定かでなく、自然発生的なものかと推測されている。江戸末期の禁門の変(一八六四)で御所から中京一帯が焼け野原となった際、この付近がいち早く復興したといわれ、木工の職人が集まったのが遠因とも伝わる。大正期の好景気に家具や室内装飾の店が増え、大正十五年(一九二六)には「夷会」(のちの夷川会)が結成され、「夷川は家具の街」と大々的に新聞広告を打ったという。釘を使わずに組む京指物の技を継ぐ店も、いまなお通りに残る。
近くの珈琲
Kurasu Ebisugawa徒歩約0m
近くの石
この覚え書きは机上の調査によるものです。伝承には諸説があります。